春ですね。
あちこちで始まると思います、PTA。
PTAと聞いて、どんな印象を抱くかは、いろいろあると思いますが、
PTAって社会教育団体だということを認識しているか、していないかで、さまざま変わってくることが多いと思います。
PTAって社会教育団体なんですよ。教育理念をもった一つの団体。
これが、会員である自分たちに、その権利や権限があること、そしてそのために自分たちで考える必要があること、
これが認識できると、今、とても困った状態であるとか、みんなが下を向くような状態であるとかいう現状を、継続するのか、それをやめるのかは、実は決められるということでもあると、分かると思います。
私の関わった(関わっている)現場では、この認識整理で、ずいぶんと変化が起こっています。もちろん、認識浸透や自走までの信頼期間は必要ですし、この説明やその過程にも丁寧さが大切になります。
でもね、この理解は、とても重要だと思うのですよ。さまざまな面で本当に。
現状、OKなところはいいですよ。でも、多くのPTAで、困っているとか、どうしたらいいのかわからないとか、そういう声をよく聞きます。
その場合、解釈のねじれや、認識違いが原因になっていることが多く、それに気がつかないまま、何とかしようとしていることが多い。
解釈のねじれや、認識違いが、現状を引き起こしているわけだから、現状をどうにかすることよりも、まず大本のねじれに気がついて、そこの改善に力を注ぐこと。
私から見える大きなねじれは、PTAが社会教育団体だという認識がないこと。
だから、変えられない、仕方ない…につながってしまっている現状が多い。または、学校内のPTA担当の先生が変わったら、一気にその色に変わってしまった、など。そんな現状につながっているとみています。
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なぜ今PTAの話かというと、もうすぐスタートするからです。その雰囲気で、新学期が、新生活がはじまるからです。
ねじれたまま、いやな感じでスタートするのか、清々しくすっきりスタートするのかでは、その学校・地域の雰囲気もずいぶんと変わる。
それって、結局は子どもにダイレクトな教育だと思うのです。
直近の目線でも、俯瞰的・長期的目線でも。
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「難しい」「それはできない」と言われているものも、怖がらず、ひるまず、けれど、攻め込みすぎず、淡々と状況分析してみると、案外いろんなものが見えますよ。
どっから始めても循環するから、自分のよいと思うところから始めたらいいと思います。みんながやってないからじゃなくて、気づいて一歩出せる人が、まず一歩。一歩じゃなくても半歩でも出す。そこから始まる。そこからつながる。
気づいてないだけの場合もあるのでね。
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新年度、また多くの学校でスタートするPTA、
・存在目的
・認識整理
・そして笑顔
それぞれの場所で、にこやかに、そして、その存在意義を最大限に発揮できるものになると、いいですね。