ずっとずっと感じていたことの答えは
自分に問いかける、というのは、私にとっては、常に自動操縦デフォルト機能。
自分がそうしているっていうことも、自然に自然と行っていたから、みんながそうしてるってわけでもないんだ・・って気がついたのも、人に言われて認識したから。
小さい頃は、
「なんで?」「どうして?」を連発する子で、
ずっとそばにいた母は、「そのすべてにこたえることはできない」と、
早々にあきらめたということで、
「なんで?」と聞いてくる私に、「なんでだろうね~?」って返したらしい。
すると、幼き私は、「なんでだろうね~?」と言いながら、その場を離れていったという。
・・・これは!!
完全に、自分に問う、のスタート!
なんでだろうね~?って、返されたから、そのまま、自分の中で、なんでだろう?どうしてだろう?って繰り返す。
それまでは、誰かに聞いていたことを、自分自身に聞く。
自分としては、それに対する答えを知りたいわけなので、自分で答えを探す、考える、に切り替わった瞬間です。
自分に聞いてみても、すぐに答えが出るものばかりでもなく、
自分の中に答えがない場合、どうしたらみつかるのか、どこを探したらみつかるのか、をまたまた、自分に問い、自分で答える。
・・・自己対話です。
「なんで?」「どうして?」が多いから、それだけ、自分に問う、考えることも多かったわけで。
きっと、むちゃくちゃ考えてましたね、幼き私(笑)
自分に問う、がデフォルトだと思っていたけど、こうやって振り返ると、後天的なものだったのかなとも。
母のおかげか...ありがとう。
当時の様子を母に聞くと、「もう、「なんで」「どうして」が多すぎて、そうするしかなかったんだよ」っていつも笑いますが、
問うことや考えることを止めなかったという事実には、やはり感謝しかありません。
「もう、そんなこと言わないの!」みたいに、怒られたりなんかしていたら、きっと、その先は、違っていたのだろうというのは、容易に想像できることで。
自分に問うということを続けている日々に
つい先日、46歳の誕生日を迎えました。
お祝いのお言葉、たくさんのメッセージありがとうございました。
しみじみと、人生での出会い、ご縁に、感謝の気持ちがあふれ、ますます、これからの人生を考える意識が自然とわきました。
大切なものを大切に。
大切な人と、大切な時間を、大切に。
大切ばかりが続きますが、自分にとって大切なものは何だろう?これからまた大切にしたいものが何だろう?と、またまた問いました。デフォルトです。
そして、これまでの自分の人生における自分自身をじっくりみてみることになりました。
なるほど!そういうことか!!
「人間はすごい」というゴールが根底にある。
それは、私にとって仮説でもあり真理でもある。
それを、証明するための実験を繰り返している。
「人間はすごい」を証明するために、実験を繰り返し、認識を真理に近づける
これは、仮説実験的認識論にも似ているのかも、と。
仮説実験的認識論とは、
§ 1 認識の成立条件
① すべての認識というものは、実践・実験によってのみ成立する
ここで実践といい、実験というものは、
人間が対象に対して目的意識的に働きかける活動をいう。
§2 科学的認識と仮説
① 科学的認識は法則的認識であって、未知の事象に対して予言的な能力をもつような普遍的な認識をめざすものである。
② 法則的認識は、仮説を実験的に検証することによってのみ行われる。
(「科学的認識の成立過程」『理科教室』1966年6月号:板倉聖宣より引用)
人生において、「人間はすごい」と信じている自分自身の仮説を、人生のあらゆることにおいて科学的に・法則的に真理として証明しようとし続けている
「これが私の人生である」ということに、深く納得した次第です。
私の人生は、その実験の繰り返し。
だから、自分自身のことだけでなく、周りの人も、そして周りの人だけではなく、広く広くいろんな人を常にその視野に入れる。
というか、自然に、視界に入る。
なるほど!
自分のことながら、この認識にたどり着けたのは、とてもよかったと感じます。
さてさて、そういう私自身の人生。
ここから、さらにその実験と証明に邁進し、認識にたどりつく喜びを感じつつ、大切な人と、大切な時間を過ごしていきます。
あなたの人生は、どんなストーリーをもって、生まれてきている?
こういうことは、なかなか考えることも少ないかもしれませんが、感じてみるとおもしろいと思います。